海老沢由紀

元プロスノーボーダー・政治活動家の海老沢由紀です。

ゲンロンカフェ(西田亮介×三浦瑠麗)

都構想の住民投票の結果を受けて、橋下さんのことや、大阪維新の会に関する記事がたくさん出ました。
そんな中、ひときわ気になっていた記事が、国際政治学者である三浦瑠麗さんの記事です。

大阪都構想アフターノート:住民投票の否決を振り返る(山猫日記)

さて、その三浦さんと、ネット選挙を中心に鋭い選挙分析をされる社会学者の西田亮介さんのイベントがゲンロンカフェでは行われたので行ってみました。

西田亮介 × 三浦瑠麗
大阪都構想の可能性をいまこそ考える
──なぜ橋下は敗れたのか

文頭の三浦さんの記事を元に、「足りなかったポピュリズム」についてから始まりました。

三浦さんのお話は抽象度が高く、表現が非常に専門性が高いものでした。
おそらくギャラリーは理解してついていくのがやっと。政治学に明るい方でないと、少々難しいレベルだったのではないでしょうか。
また、「都構想論」とともに、「橋下徹論」もしくは「維新の会論」が、併行して語られた部分で多少混乱したかという印象です。

進行していく西田さんは、より具体的な話にしてギャラリーの理解を助けようと苦心しているようでした。
その結果、一部議論が噛み合ってなかったところが、また面白くもありました。

三浦さんの論点を、わたしなりの解釈で申し訳ないですが、まとめさせていただきます。

都構想の住民投票は、トップダウンによる二元論と、談合(ムラ社会)の対決だった。
(正しいからやるというような)善か悪かというような二元論を迫られることは日本人には不愉快で、イデオロギーと見えやすく、拒否反応をする人が非常に多くいる。

そのため、ものごとは善悪に分かれるものではなく話し合いで決まっていくものであるという思想(完全な相対主義)から反対する人が多くなった。

これだけの僅差だったのだから、反対への解決手法として、勝利するのであれば、なんらかのバラマキ(改革によって得られる果実の先取り)などで利益を提示することで最終的に支持を得る方法(一方のポピュリズム)もあったのではないか。

一方、非談合体質でトップダウンによる二元論を掲げていたことが、大阪維新の支持の源泉であり、これが一方では(もう一つの)ポピュリズムにつながっていた事実も有る。
最終的にこの理想論が原理主義化していた可能性がある。

これらの内容に対し、それぞれの場面ごとに政党の支持や選挙結果について言及されていました。

さらに、ものすごく乱暴にまとめると、「手段を選ぶかどうか」となると思うのですが、維新の会を考えるときの本質をついていると思います。
橋下さんは「政治は不条理」と繰り返し述べています。
わたしも、悩み続けてきたことがらなのです。

 

次に、都構想にあたって、「二重行政」を改革のセンターピンとして提示したのが妥当だったか?
「改革の継続性」の選択肢が示されていないことの問題点。
について西田さんが提示。

それに対しての三浦さんの感想がスゴイ。ここから本格的な「橋下論」が始まります。
三浦さんの橋下さんに対する評価は非常に高いですね。

橋下さんに対する反対陣営のロジックを持ってきてる気がする。
有限な期間で選んだ首長に対し、政権を取りに行かず、対案を示さずアラ探しして、公明党のようなどっちつかずのポジション「よくやったね。改革を続けたまえ!」は民主主義に対して危険をはらんでいる。
政権を取りに行かないなら批判は全く無意味だし、取りに行くなら対案が必要だ。

都構想の良いところは、機構改革を先にやって戦略を後追いさせること。

「組織は戦略に従う」のが王道だが、「組織に揺さぶりをかけることで戦略をもたらした」ことに大阪都構想の意味があり、全国に影響をもたらしている。

大阪(の政治)には興味が無い。
もっと大きな改革、日本全体の改革に興味がある。

このあたりは、西田さんも「禅問答のようだ」と返し、本格的に噛み合ってなかったですね(笑)
大阪都構想の意味についての視点の差、大阪からの視点か全国からの視点か、マクロ的に見るかミクロ的に見るか、のようなものだったような気がします。

三浦さんの政治観も、最初やや難解な表現で示されましたが、西田さんとのやりとりの中で一生懸命説明されていき、理解が深まりました。

 

その後は、
公選法と比べる住民投票。手続きの違い。
憲法改正問題との違い。
政党別の支持率と選挙結果に対する分析。
保守とリベラルの支持率。
今後の野党再編にあたっての前提条件。
など、興味深い話題が満載でしたが、とてもコメントしきれないので今回はこのくらいにします。

 

さて、三浦さんの記事、山猫日記で違和感が一部分だけあったのですが、この部分です。

維新は、橋下氏の能力に過剰に依存したやり方を最後まで改められなかったようです。彼が、稀代のコミュニケーターであるが故に、そのメッセージがワンパターンとなってしまい、橋下氏以外の顔役を作り出すことができなかった。橋下氏自身、あるときは戦さであると言ってみたり、またある時は所詮制度の変更でしかないといってみたり、メッセージが一貫しませんでした。個人でやれることには、どうしたって限界があるのです。

 

メッセージが一貫しなかったのは、橋下さんが「手段を選ぶかどうか」で揺れていたからであり、日本における政治の難しさの部分であり、橋下さんがずっと戦っていた「政治」であると思います。
まさに、今回取り上げられたメインテーマが、維新のこれまでの歩みについても重要なことがらであったのです。これを考えていくと、どうしても「都構想」の枠をはみだしてしまうのも仕方がなかったかと。

そして、今回のイベントを聞いてわかったのは、三浦さんと自分の考えが食い違っているのは、おそらく維新が「トップダウン」であるという前提です。
わたしは、実際には当然それを知る立場にはありませんが、自民党のような典型的な「祭り上げ体制」までとは言わなくとも、内部的には必ずしもトップダウンではないのではないかと想像していました。
この視点が違っているので、橋下さんの言動やポピュリズムの源泉に対する解釈も違ってきます。
このへんが、「橋下徹論」となってくるわけですね。

三浦さんの著書である「日本に絶望している人のための政治入門 (文春新書)」にも、維新に対する期待が見て取れますが、今回のイベントでも橋下さんへの大きな期待が節々に感じられました。

2012年の時点で、安倍首相の提示していた政策は、維新の会のものとほとんど同じでした。
維新の会に入るという話もあったように報道されていましたが、それが事実かどうかは知りません。仮にそこで安倍さんが自民党内から改革を選択したとするなら、考えたのは「どちらが政治的に可能性があるか」であったでしょうし、それは最終的には今回の話の内容とおおいに関係した部分だと思います。
有権者から見て、維新の会が「トップダウン」に見え「二元論」に見えるのも間違いありません。
今後も、政治家は「ポピュリズム」に関心を持ち続けることでしょう。

組織論としては、三浦さんとわたしはこの部分で違っていましたが、橋下さん個人に対する見方や政治に対する関心は非常に近いのだというのがよくわかりました。

 

お二人の視点はそれぞれ大変面白く、はからずも、都構想の枠にとどまらず、日本の政治全体を考える上での論点が満載だった気がします。
まさに、プロフェッショナルの議論という印象です。
維新の党、さらに今後の野党再編を考えていく上でたいへん参考になる内容でした。

野党再編に関しては議論の中でデータが取り上げられていましたが、三浦さんのこちらの記事が非常に興味深い視点の記事です。
是非目を通されるとよろしいかと思います。

小選挙区の勝敗を決する票数の7割は保守なのです。
仮に、日本に二大政党制が根付くとすれば、それは保守系二大政党制以外にはリアリティーがないと常々申し上げてきたのはこのことです。

選挙結果の意味するところ(山猫日記)

 

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